アルスノート研究所 / 研究紹介 / 研究内容
topic passはHomeの> 研究紹介の> 4.研究内容 > 形典 > のページです.
 
更新:08/09/30 >09/12/18>12/11/06> 22/03/13
■形典 / ●形典とは
 


●形典とは   

                  (サンプル PDF
 1.造形表現における 文法的構造を想定してみよう.
 2.形典とは,造形構成を認識するための基礎理論.
 3. 形譜は造形譜を含む.
 4.造形譜による実制作(パフォーマンス)とは.
 5. 造形譜が認められると,真似や偽物といった負の評価ではなく,同一の構成からさまざまな新しい解釈(実制作)が生まれる.
 6. 形譜には,石膏像の「大顔面」のような,立体の大よそのかたちを面の集まりとして表すポリゴン・メッシュが便利.
 7. 形典においては,先ず視覚による抽象的認識(視覚的モデル化)を基盤(要素,要因)として,感性的構成の仕組み方を洞察的に把握することが大切だ.
 8. 知性と感性の共在.
 9. 形典による形譜の位置付けができれば,誰もが盗作や真似などと言われずに,カラオケのようにモノ作りを皆で楽しむことができるはずだ.
 10. 形典とは,形の文法,つまり造形表現の形式的な把握,その感覚的抽象の表現方法の定立,形譜として表記するための美的形式の定立などである.
 11. 音楽のメロディーやリズムやハーモニーのような概念は,造形ではどのように位置づけられるだろうか?
 12. 配列による整理の万能性を再認識しよう.
 13. 楽典の楽譜が時間軸や音の高低で配列を定めるように,形典の形譜は空間と時間の配列を使って造形要素の構成を記述する.
 14. 配列の階層性とその認識の同時性における調和を知ろう.

●形典へのアプローチ
●造形譜をイメージする
●造形構成について
●形典の基礎概念


     

   
●形典とは
BACK


1.造形表現における形の文法「形典」や,
かたちの記譜「形譜」を想定してみよう.

 

 言語には文典(文法と語法)による構文,音楽には楽典による楽譜,社会には法典に基づく国造りもある.ならば造形にも形典,そして形譜(造形譜)による形の記譜が想定されても不思議はない.

 もちろん,文法を学んだからといって美しい名文が書けるわけでもないし,楽典を学んで名曲が作れるわけでもない.ましてや,法典を学んだからと言って良い国造りが行われるわけでもないから,それらの学習による功罪を語る気はない.しかし,コミュニケーションの手立てとしては,ものごとや表現の構成には原理や原則(基本ルール)があり,それを基準として多様な形式や繊細な差異が見えてくるのは事実である.とはいえ,それらに捉われてばかりいても,表現は硬直してしまう.自由になるためには,一度は原理・原則を使いこなし,さらに,それらを打ち破っていく勇気と創作的エネルギーが必要なのだ.

 スポーツにもルールがある.規則は面倒だが,これがないとゲームは楽しめない.楽しめないルールは改正されていく.それでも受け入れがたければ,別のゲームが生まれる.
 芸術にはルールなどない…と言いたい気持ちは解るが,それぞれの作風には固有の表現ルールがあるものだ.それらの更新によって新しい芸術運動が生まれてきたとも言える.もちろん単に仲間意識に根差した暗黙のルールもある.どんなに自由な芸術もコミュニケーションの一形態であるから,共通のルールがあってこそ誤解なく表現を伝えることができる.なくても心が伝わるというならば,それは本能のごとき暗黙知であり,それに越したことはないが…直観同様に知識として学ぶことではない. もちろん人それぞれの経験知による自由な解釈を意図とする表現もある.たとえルールが無くとも,それは享受者のルールに委ねた想定外の表現となる.Page Top

2.形典とは,造形構成を認識するための基礎理論.

 

 形典とは,造形構成を認識するための基礎理論であり,構成認識の法則を探求するものだ.それにより構成認識の仕組みを客観化し,抽象化することで記譜法を定め,形譜(造形譜)としての記述が可能となる.Page Top

3. 形譜は造形譜を含む.

 

 形譜と造形譜はほぼ同じ意味であるが,本文中では,“形譜”は自然や過去の文化遺産などといったすでに周知された形態の記譜を含み,“造形譜”は“創作的意図をもって作者自らが記した形譜”といった感じで使い分けている.

 形譜は,図面のようなもので良いが,昨今では3次曲面でも概略表せるワイヤーフレームやポリゴンメッシュ等の方が便利である.形譜は,楽譜のように大よその長さの比率や位置関係などが定まれば良い抽象的な表現であり,あえて図学を意識して言えば「やわらかい図学」とでも言った方が良い表現となる.

Page Top

4.造形譜による実制作(パフォーマンス)とは.

 

 実制作(音楽でいう演奏:performance)とは,全体の造形構成が完了した形譜を解釈し,具体的表現とする行為である.作品表現には,“制作”や“製作”といった表記があるが,ここでは混乱を避けるため,“制作”は創作性や解釈を含むもののつくりかた,製作は設計図書などの指示に従って,デザインに忠実に作ることというニュアンスで使用している.一般的な事例では,慣習や心情もあり,この限りではない.

 設計図書には,図学的法則に基づいて表現された三面図などが用いられる.図面には,具体的な寸法などの表記があり,更に精度を高めた詳細図,施工図等もある.

Page Top

5. 造形譜が認められると,真似や偽物といった負の評価ではなく,同一の構成からさまざまな新しい解釈(実制作)が生まれる.

 

 すでに文化史的にも音楽の記譜は,演奏による解釈の多様さを認めている.したがって造形美術においても,形典と形譜による記譜は大よその造形構成を表し,その抽象表現に対する様々な解釈が可能となる.この社会的認識によって,真似や偽物といった負の評価ではなく,同一の構成からさまざまな新しい解釈による造形表現が生まれ,造形美術への理解の深まりと造形表現の活性化を図ることができる.Page Top

6. 形譜には,ディテールを省略し,石膏モデル像のルキウス・ウェルス帝(上段左)の面取りマスク「大顔面」(上段右)のような,立体の大よそのかたちを面の集まりとして表す方法が,大まかな構成が明確となり相応しい.この方法は,すでにCGのポリゴン・メッシュ(下段左)で詳細な分割がなされ,3D-プリントに使われている普及したファイル形式にもなっている.

顔   顔の造形譜
顔の造形譜     
 これらの三次元の情報を伝達するには,このような立体物(石膏像や模型)を用いるか,正確な数枚の下絵や図面,銀塩写真などが使われてきた.
しかし,近年では,写真のデジタルデータ(JPG,PNG等)だけでなく,3Dプリンターなどで立体出力ができるポリゴンメッシュ(DXF,OBJ,STLデータ等)がある.このやや曖昧な図法を,「やわらかい図学」と呼んでみよう.

 

 

 ここで述べられている内容は,形典や形譜を理解するだけでなく,造形作家がより解釈を深めるための構成法(音楽なら作曲法のようなこと)についてもふれているが,その論理性から創作性へと移る難解な部分を読み飛ばしても,形譜の読み取り方は大よそ理解できるはずである.
 CGの知識がある方は,「なんだワイヤー・メッシュやポリゴン・メッシュのことか?」と思われて当然である.しかしこれらの座標譜は,使われたリズムやプロポーションが明記されておらず,3Dデータの送受の書式に過ぎない.つまり造形的構成を伝達する造形譜としての認識には至っていないのである.このような問題を解決するには,“形の科学”や“造形(構成)学”といった“かたち”に関する研究がICT(情報通信(対話)技術)と歩調を合わせて公知される必要がある.
Page Top 


 恐らくほとんどの人が,形の記譜なんて聞いたことが無いし,できそうにないし,する必要もないのではと思われるだろう.当然である.何千年もの間,人類は形典などという形の文法を定めたためしがないし,一度図を描けば消えることもないので,視覚伝達はスケッチで十分だと考えているはずだ.
 しかし,近年では,写真のデジタル(ピクセル)データ化があたりまえになり,三次元データも定められた書式(DXF,OBJ,STL等)で受け渡しができ,フリーソフトで簡便な可視化や高度なレンダリングもできるようになった.この立体データのデジタル化によって,音楽の楽譜のように,誰もが大よそのかたちを簡単に複製し,立体プリンターなどで出力(具現化)できるようになってきている.機械や建築の設計などもすでに可視化しやすい三次元データが,主流になりつつあり,情報処理技術の着実な進歩を踏まえ,美術的指向を強めていることは素晴らしい.

 造形家は,下絵やマケット(彫刻のひな形)の作成において,大顔面のデッサンのようにさまざまな抽象的観点から構成を簡潔に把握する方法をいつも考えてきた.イメージにふさわしい言葉や北斎の絵手本(北斎漫画早指南)のような○,△,□などを使った幾何学的抽象は,表現空間全体の構成をより簡潔に捉えて全体の構成を把握するパターン認識の一例である.何故それが必要かと言えば,対象である自然の多様性は,人物なら目に見えぬ分子レベルから,体液,細胞,組織,器官,骨格と筋肉,体形,表情,動作,集団と相互関係,生態系に至るまでの階層的組み合わせから成るからだ.体液の涙が溢れ出ていれば,これら全ての階層が相応に変化するのである.このような表情を表す形譜は,大顔面のように大雑把では無理かも知れない.

 もちろん,勝手な解釈が許されない図面のような正確さを求める投影図や透視図などの客観的手法もある. これらの図学的手法やルールを学ぶことは,単なる情報の伝達だけではなく,その作業過程で対象を把握する方法をしっかりと意識し,定量化,定性化による抽象的認識を深めることになる.しかし,これらは西洋音楽の楽典と楽譜のように,拍子やリズム,音程,メロディー,和音などを統合する表現とは異なり,計測の正確さを追求した幾何学的伝達に留まっている.形典においては,もう少し「やわらかい図学」が必要となる.それは,生物の分類に使われるような,抽象度の高い図的分類である.この「やわらかい図学」が,美術系の学問として発展していけば,盤上のゲームのようなシンギュラリティーは,今少し遠退くだろうと筆者は考えている.人間の造形力には,新旧を問わず,まだまだ多様な可能性がある.

 音楽とは異なり,大方の造形構成は,自然が秘密の方法によってすでに現実として表現しており,その複製は,固有の増殖システムによってすでに地球全体に繁茂し続けている.人間は創造どころか,自然を学ぶだけで,すでに多くの生涯を捧げてきた.人の姿や表情は,そのほんの一部に過ぎない.画家や彫刻家の表現は,これらの形態の再構成や個性的な解釈による表現(パフォーマンス)となる.この圧倒的な自然の造形力(創造力)に人が対峙することは,生真面目に考えれば不可能に近い.そして,自然の造形の秘密を科学的に解き明かしたとしても,それが人間の美的創造性に影響するとも思えない.なぜなら人の感性もまたその長い地球史と共に育まれた極めて複雑な現象であるからだ.人間が月に行っても文学上の「月」の風情は揺るがないし,月から思う「花鳥風月」は言うまでもない.
 「生成文法」を巡る論争は続くであろうし,音楽がどこから生まれるかは,更なる不思議さを持続するだろう.自己への不信が他者への信仰を誘うし,「無神を拝して神と成す」と諭せば,不思議な継承感が残る.造形芸術とは,これらをも含めた自然への(人間自身への),そして歴史ある社会への,哲学的認識への果敢な挑戦なのだろう.

 こう考えてくると,絵画,彫刻,工芸を学ぶ美術大学に,デザイン学科が加わり,印刷やプロダクトデザインを探求しはじめ,そこに情報デザインが突如加わることで混乱が生じ,アナログとデジタルを二律背反のように色分けする差別的考えや,情報デザインをアプリケーションソフトの操作指導と勘違いしたような授業が行われてきたのは,致し方なかったように思える.
 もしそうならば,ここで述べる「形典・形譜」の概念が,相互理解につながる良いチャンスとなるかもしれない.音楽においては,楽典・楽譜という抽象概念が定着していたので,作曲(compose)と演奏(perform)の区別は一応ついていた.したがって,わたくしのような門外漢から見ても,アナログとデジタルと言うような短絡な対立は無かったように思える.それは,手回しの簡単なオルゴールを鳴らしてみれば,子供でも分かりそうな現象だ.しかし,造形においては,タイリングのようなものがデジタルで,曲線の描写がアナログのように思われている可能性がある.もっと短絡な言い方をすれば,コンピューターアートはデジタルだ…ということらしい.しかし,音楽同様の知的センスで造形学を構築するには,もう一度慎重にその轍をたどることが必要なのだ.もちろん音楽と美術では,認識する知覚の構成が異なる.従って安易な対比は,かえって混乱を招く.とはいえ,画像処理で顔認識までできる時代である.そろそろ私たち自身のパターン認識の手法を学び,造形に役立ててゆく時代ではないだろうか? Page Top

7. 形典においては,先ず視覚による抽象的認識(おおよそのかたち)を基盤(要素,要因)として,感性的構成の仕組み方を洞察的に把握することが大切だ.

 

 

 ヒトは,捕食をともなう進化過程の中で,生き続けるために,恐らく他の動物と同様に,自然形態の判別(食べられる,食べられない,食べられちゃう!)を重要な視覚認識の対象としてきたはずだ.しかし,その対象の形態形成のプロセスは,IPS細胞の研究にも見られるように,いまだに複雑怪奇である.それにもかかわらず,ヒトは科学特有の抽象的モデルに目覚める以前から,常にそれらの対象を見分け,分類し,認識し,自然淘汰の渦中を生き抜いてきている.高度なパターン認識力を本能的に継承し,それを基盤とした言語を支え,社会を支え,破壊を繰り返しつつ造形的継承を持続させているのである.

 したがって,これから述べる形典においては,先ず視覚による抽象的認識,つまり視覚的モデル化を基盤(要素,要因)として,感性的構成の仕組み方を洞察的に把握することが大切だ.あえて“洞察的に”と書くのは,芸術に論理的客観性を求める必要はないからである.
昨今では,これらの視覚的モデルを,配列概念を使って整理することで,ほどよい客観性をもたせることが,可能である.急ぎ俯瞰的に述べれば,それらの形式的位置付けに,主観的な解釈と固有のメチエ(技法)を共振させながら表現することで,美的解釈の多様性を認識し,美的構成への枠組みを把握できるという想定が,形典定立の動機である.Page Top

8. 知性と感性の共在    すでに誰もが知るとおり,近年の映画ではコンピュータグラフィックでの仮想現実的描写があたりまえになっている.宇宙空間,エイリアン,恐竜,アクロバット,大地の崩壊等々なんでもござれの描写は,すでに満腹の感があるほどだ.積層造形(3Dプリント)を含め これほど複雑なモデリングと多様な解釈的表現が成されながら,形譜の位置付けとそのリリースが無いのは不思議であるが,現在の一般的な造形教育を音楽と比較すると無理からぬところもあるのだ.なぜなら,形を分析ではなく統合的把握から抽象化する方法を構築しないからである.もちろん実技としてのデッサンは,それを体得的に学ばせるが,その学習は,自転車に乗れてもその物理的現象を他者に説明できないような,演習抜きの実習や個性的自習になりがちであるからだ.結果良ければ全て良しであろうが,オリンピック競技同様に,気力だけでは実力は伸びないのが現実である.知性を求めるなら何事にも分別を付け,観察対象に名辞を与え,対話と共にその現象を統合的に実行する知性と感性の共在が必要不可欠なのである.Page Top

9. 形典による形譜の位置付けができれば,誰もが盗作や真似などと言われずに,カラオケ同様に,形譜からのものづくりを皆で楽しむことができるはずだ.

(パロディではなく,もしモナリザが記譜され,形譜が配布されたならば…,
「あたなたの描くモナリザこそ,ルーブルで展示すべきだ!」
なんて会話も可能となる.)

 

 形典の解説には,造形作家(composer)の構成法にかかわることも含まれており,音楽で言えば作曲法の領域を含むことなので,少々難しく思われる部分があるかもしれない.しかし,音の構成を記譜した楽譜の位置付けが解れば,少なくとも,楽曲を皆で楽しく歌ったり演奏したりできるのであるから,形の構成を記譜した形譜の位置付けができれば,誰もが盗作や真似などと言われずに,ものづくりを皆で楽しむことができるようになる.そんな夢がここに秘められていることがわかれば,形典の難解な部分を読み飛ばしても,形譜の定立の意図は,お解りいただけると思う.
  形譜の理解と開示(リリース)が進めば,実制作家(performer) は独自の解釈によって,開示された文化財の形譜から,新たな解釈としての造形表現が生まれるかもしれない.Page Top

10. 形典とは,形の文法,つまり造形表現の形式的な把握.感覚的抽象としての表現方法の定立.そして形譜として美的形式を表記するための表記法などである.

 

 

 これから述べる形典とは,形の文法,つまり,造形表現の形式的把握であり,その感覚的抽象としての表現方法の定立,形譜として表記するための美的形式の抽象的な表現法などである.

 造形表現の形式的な把握は,博物学的分類ですでに成されている.花鳥風月で何を表現するかは,文法レベルの問題ではない.人為形態に関しては,美術史で今後も分類されていくであろう.

 難題は,美的形式の表記である.これは,先に述べたように人のパターン認識に係る感覚的な抽象であって,数学を使ったシミュレーションのようなアルゴリズミックな論理的抽象と並置されるものだ.つまり経験に基づいた知覚的認識を通した対応表現なのである.基本的な認識ほど習慣の中では無意識に行われるため,誰もが重視するわけではない.すでにプログラマーの間では常識となっている配列概念も,そのよい例であろう.配列に対する基礎知識は,プログラミングの基本であるが,五線譜をも取り込むこの「瓢箪から駒」あるいは「瓢鮎図」のような魔力を知る人は少ない.従ってここでは,「形譜」自体は上記に示した大顔面の面取りマスクのように,おおよその形を表すポリゴンメッシュと定めておくのが賢明であろう.楽譜でも,拍子,音程,音価は大雑把とはいえ明確に記しているが,リズムは移行的変移から生じる感情であって,分類は可能でも規定するには枠組を定め難い概念である.従って,以後に述べるリズムは,「順序」の置換を意味する程度の事柄とお考えいただきたい.この「順序」もまた,「組み合わせに番号を振った程度の差異を含むことになる.つまり,「やわらかい図学」は,柔和な認識で支えらたセンシティブな表現なのだ.. Page Top

11. 音楽のメロディーやリズムやハーモニーのような概念は,造形ではどのように位置づけられるだろうか?それを知るには,配列概念をイメージする必要がある.

配列概念は,音楽の楽譜における時系列的分割(小節や楽節)や音程の構成を整理でき,造形作品の空間的構成や美的構成を把握するための形式的科学の基盤となるものだ.

 

 もともと,数えたり順序を表す数詞には,電気やガスのメーターのように順序よく数値を表すための厳格な桁の繰り上げ方がある.つまり桁という順序立った階層があって,初めて十進数が記述できる.当たり前のことだが,いつもこれらのことを意識して自由自在に数字や文字を見ている人は少ないだろう.使い慣れた数は計算のための十進数となり,意識や省察を遠ざけ,いつの間にかこれらの概念の光と陰を見失っているかもしれない.

  音階のドレミファにも順序がある.それを上手に入れ替えながら並べ,音の長短を決めると,良し悪しは別としてその音階でのメロディーらしきものが生まれることになる.これら全ての並びを確実に記録しておく場が配列という概念である.楽譜は時間軸に並べた音符ごとに音の長さと高低や和音の状態が記録され,音の流れが一目でわかる優れた配列状の記譜法である.3次の配列は,行,列,層(ページ)の格子のなかに情報を記憶させることができるが,楽譜は視認性において卓越した工夫が重ねられており,楽器と共に高度なインターフェースを形成していることがわかる.

 つまり配列概念とは,単なる作表的記録ではなく創造の源となるとなるシステムの基盤なのである.Page Top

12. 配列による整理の万能性を再認識しよう.

 

 対象に対応した文字や数字の並びを順序良く記録するには,原稿用紙や碁盤の目のような格子があると便利だ.このようにきっちりと並んだ記述場所による記録の全容を,ここでは“配列概念”と呼ぶ.(この詳細は“形典の基礎概念/配列概念”を参照.)  配列という言葉は,プログラミング以外ではあまり耳にすることが無いのだが,実はあらゆるところで使われている概念だ.グラフは配列データの可視化だし,楽譜や音源データ,アミ点の写真や画集なども配列の束ねだ.まさに碁盤の目の上で成される対局の様子も配列そのものの複雑な関係だ.原稿を集めて作られる本も,本が分類に基づいて書棚に並ぶ図書館も巨大な配列の集りで,ここには,人類の歴史も含め,この世の中の不条理までもが入念に記述され,また相互に引用されているのである.配列概念が時系列や同時性や離散性,階層性を自在に表現でき,ものごとを整理するのに役立っているかがお解りいただけるだろう.Page Top

 話を戻して簡単な配列について見てみよう.出席簿や成績表などは,配列を使ったかなり大まかな定量,定性的な人物評価だ.タイムカードなどの表は,給与計算表で集計され,収支の計算にも反映される.事務処理用の表計算ソフトは,さまざまなデータ処理に使われ,配列概念の典型的な応用ソフトであり,文字や画像を伴った簡単なページレイアウトのデザインにまで使われているのだが,実はパソコン内部のプログラムにおいても,配列概念があらゆる情報を記憶し,演算するための重要な整理法となっている.もちろん内部や外部のメモリーも,物理的に配列化されているのだ.したがって,配列操作からみればアプリケーションソフトの機能の差異は,むしろ配列操作による見かけ上の違いと言っても過言ではない.つまりプログラムも含めて,配列概念に対応した自在な演算処理が,ノイマン型と言われるコンピュータの万能性を生み出していることになる.
 配列で整理された個人情報は国境をも超えて統合され,実在の本人すら気づかない過去の分析とそれに基づく行動予測が常時行われている.だとするなら国民総背番号化の問題の根深さも,容易に想定できる.もはや亡命とは,地球外に出ることになりかねない.技術は両刃の剣なのだ.
 さて,このような配列概念の応用は,時間軸をもつ楽譜のような配列を取り込むことにも何ら問題は生じなかった.むしろ楽典の方が情報科学的にはずっと進歩している学問体系であったから,音楽のソフトウェアーは,急成長できたのだ.だが造形美術はどうであろう?CGがこれほど進歩しても,未だに造形の記譜法すら学校で学ぶことができない.実におかしな話なのである.Page Top

13. 楽典の楽譜が時間軸や音の高低で配列を定めるように,形典の形譜は空間と時間の配列を使って造形要素の構成を記述する.

 

 楽典の楽譜が時間軸や音程や音価(音の長さ)で配列を定めるように,この形典の形譜は空間と時間の配列を使っ て造形要素の構成を記述する.配列概念は点,線,面や,要素,要因といった集りの統合的把握を可能とし,造形作家は,それらの集合の定量,定性的な関係を美的形式(リズムやプロポーションなど)の観点から注意深く調整することて造形構成をおこなうことができる.Page Top

14. 配列の階層性とその認識の同時性における調和を知ろう.


見方を変えれば世界が変わる.

 

 視覚を支える網膜も,聴覚を支える螺旋状のコルチ器も配列的な仕組みをもつ.だが,そこから発せられる物理的シグナルやその楽音に対するパターン認識,それによって記憶を励起させた感情的認識などは,かけ離れたレベルの現象と考えられる.この専門的探求は,まるで計算機自体が自己分析を始めるような事であるから,実に困難で気の遠くなるような問題とも思える.そう考えると,論理的抽象と感覚的抽象を素直に並置していくことは,人間の尊厳にもかかわるあたりまえな事と思えないだろうか.Page Top

 さて,使い慣れたリテラシー(読み・書き・計算)といえども,実は子供の頃に誰もがそれなりの努力をして獲得した習慣だ.日常的に使っていながらも,大人になって初めて自己の能力を客観的に認識することは,人間の驚くべき情報処理能力の賜物ともいえる.「見方を変えれば世界が変わる」と言われるが,若いうちに常識化してしまう基礎教育を客観的に見つめなおし,さらに自ら世界の見方を変えていくことは,教育者を含めて大変な困難が伴うこととなる.この形典も,場合によっては二の足を踏みそうな厄介な教育課題となるかもしれない.
 だからこそ,これを踏み台にすることで,新たな美への夢と行動が生まれることを心より期待したい.

 

  アルスノート研究所               石垣 健

Page Top
   

 

   
BACK

 

     
  前のページへ戻るBACK