研究紹介
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更新:08/09/30 >>09/12/18>> 12/02/07

研究のまえに:11/09/17 前回ゲームのことを書きましが言葉足らずだったのでBLOGに載せました.
http://ishigaki-ken.blogspot.com/2011_09_01_archive.html

研究近況 に進行中の資料を掲載しました.討議などにご利用下さい.

<過去ログはこちら

概要
1.前文
 
見方が変われば,見え方が変わります.生き方を変えれば,世界も変わります.

「統合」とは,知識の寄せ集めでなく,様々に科学するこころの働きを自ら意識し,一人の心により合わせることです.

「造形ノート」展より

「さあ 行こう!」
と言って友は歩き始めた。
行動の前の「言葉」は
互いに他者であることの
確認でもあり、忘却でもある。

造形活動における「ノート」は
その確認と忘却にどう関わるであろうか?

「さあ 見てみませんか!」

1998/11/9 ~ 11/15  KEN ISHIGAKI

 

 21世紀,私たちはは膨大な文化遺産の只中で,新たな心のよりどころを探し続けています.生きる手段となった生産と複製が引き起こす物と情報の過剰な日々.どのようにすれば,計画無き浪費や軍備とその破壊から,身の置き場を移すことができのるでしょうか?
 物理的モデルとして,しなやかな基礎をもつ永続的な建築構造の確保は必須ですが,そのほかに,地域的物流の代謝と循環によって,自発的活動を相互に支え合う地域経済の確立.地球に偏在する資源の争い無き活用と交易.そして,たとえ冷徹であれ,ともに,誕生と死を受け入れる文化的に完結する消費モデルも必要です.

 人間として生まれながらにもっている広い視野を失っては,先端的研究もその広がりを認識できず,他のジャンルとの横断的ひらめきも生まれません.エネルギー政策のつまずきが国土破壊の現実を露呈したいま,科学的理性をも失った原発エゴイズム報道による「安心・安全神話」は消え去りました.残念ながら今の日本の民主主義のレベルでは,原発のシビリアンコントロールは不可能です.行政による情報の開示と,自由な報道による分別ある国民の判断や世界と協調できる自発的な決断と行動が必要です.しかし,それでも超人的技術のリスクが消えるものではありません.あらゆる危機を想定した場合,原発を避ければ,人間が何年も国政の落ち度から自国に住めなくなるような馬鹿げた問題はないのです.
 無際限な人間の細分化を目指す使い捨ての教育.独占化により蔓延する怠慢な徴税.もはや,そこに若者がよりどころを求めるはずもありません.すでに,右肩上がりの神話的経済成長は限界です.世界的な生産力の向上にたいして,利益を上乗せされた消費価格が釣り合うはずもありません.国境を越えた企業の経済が行き詰まる中で,国境を越えられないメタボな国家経済が成りゆくはずもありません.
 そんな時代に芸術は,造形デザインは何処を目指すのでしょうか?今までと異なった価値観を提示することで,持続的なエネルギーの確保と自壊しない永続的な社会基盤の構築を目指すことができるはずです.無駄のない修復技術と意味のある更新こそが,エネルギーの浪費を避け,示威的でも投機的でもない,真っ直ぐに心に到達する芸術的な文化遺産を構築することができるのです.斬新な地域の営みと文化をもつことで,よりどころとなる堅固な地域の自治が生まれ,権力集中による国家に変わり,心の拠り所としてのグローカルな文化的経済エリアが,世界のあちこちで形成されてゆく時代なのかも知れません.堂々と生き様を披瀝できる文化の構築こそ,互いの旅の楽しみでもあるのです. 11/09/17  isi  <PageTop>

 

     
2.研究の概要と理念

 

外形に惑わされぬ抽象的把握.

 造形プロセスの研究は,風にたなびく新緑の小枝のような緻密さと曖昧さ,秩序と乱れをしなやかに束ねた対象を観察するようなことです.根を支える立脚点を確実に定めることは,その表象の持続と変容を支えます.客観的視点は,情感や風土とは無関係ですから無味乾燥です.しかし,それさえ整えば,しっかりとその枝葉の動きを支え,そのしなやかさゆえに,自然な成り行きや意識的な創意工夫,感情の揺らぎや隠喩のひらめきさえ許容していけるのです.根本から享受者と共に表象と化す枝先まで,その連なりを柔らかく位置付ける手立てとして,このややあいまいで解釈を委ねる抽象的表現を探求していきます.  <PageTop>

 
この Arsnote (アルスノート)という造語は,芸術と科学を巡る造形プロセス(造形過程)の簡潔な記述を意味しています.
   

ars とは,art の語源であるラテン語で,ギリシャ語の techné と同義と言われます.一般に技術,方法を意味し,純粋思弁的な知識や無意識の自然に対するものとして用いられ,自然と対立する人間の文化活動すべてをさしていたようです.*1  
*1:『哲学事典』 平凡社 1971
arsをさらにたどると arma になり,「つなぎ目,結合」といった盾や武器の語源に行き着きます *2 .“アー”という音は,いわゆるオーラの音で,朝に日が昇り,その光が大地に差し込むことを意味するそうです.
*2:大槻真一郎『語源辞典 ラテン語篇』 同学社 2006
ars は,まだ知識として科学と芸術,そして技術が心の中で分離しない頃の概念かもしれません.一人の人間として,全身全霊をもって,あらゆる対象を見ぬく直感力が運命を分けていた頃でしょう.哲学的言動や科学的論理に導かれていく以前の,不思議なほどに全人的で一体感のあるとらえ方だと考えると,その精神の高揚には喜々としたものがあったに違いありません.今で言えば,まだ科学的知見が一般化しない,香りや味わいのごとき認識の一体感を保てた言葉だったわけです.
 もちろんarsとは,現代からみればかなり混沌とした曖昧な考えかもしれません.しかし,科学や芸術が求める窮極のよりどころは,いまでも「黎明」ではないかとも思うのです.Arsnoteは,そんなふうに一体化した思索の記述を,客観的視点と主観的志向を交えて探求していく記述を意味しているのです.

 
自他共に表現のプロセス(過程)を意識し,記録し,提示することは,存在・認識・行動のデザイン(計画),つまりは,自ら生きることへの心からの挑戦です.
このプロセスの把握こそ,「矛盾」という言葉が正しい意味を持つように,表象を俯瞰する記号的なチャートです.

 
 

科学の発展につれて,次第に芸術は科学と対局に位置することのように思われていきますが,当時のこのような自然と相対する人間活動の表現は,現代の冷めた目で見れば,存在・認識・行動の一体的な感覚による表象であり,極めて無垢な人間的理想像として,命のアウラに満たされていたとことと言えます.
近代において art は,自らの内面を意識し,その時代の先端の技術と価値観に対峙するべく,画家固有の技能によって視覚認識の脳内分析を試み,次々と新しい抽象絵画の様式を確立し,その享受へと振興のパトロンと共に人々を駆り立てました.そして昨今では,技術的で,きわどく分裂的な意識そのものも,芸術の領分とするほどの広がりをもつに至ったのです.

あえて言えば,自然現象のプロセスを記述しようと,感情を交えず,論理的に観察と探求を重ねてきているのが,自然科学というサイエンスノートです.科学は苦手だが芸術は得意だ…,などと自己を分断して考えることをせず,子供の視点,つまり全人的視点で対象を観察し,探求することが本来の眼差しであり,アルスノートの出発点なのです.

 一方,科学・技術的発展は,自然の普遍性を起点にして,自己意識の偏在を是とする傾向を強め,先鋭的探求のため,一人の人間としての生き方をも抑制し,グローバリズムと共に行動を加速されています. いまや物質と精神の溝は,生物科学,情報科学,脳科学,認知科学の登場で埋まりつつあるかに見え,普遍性を担保しない価値が,爆発的に複製されて,人心を惑わすようにもなりました.
 とはいえ,歴史的に累積性のある学問や技術とオギャーと生まれ出た無垢な心との乖離は,青春を曇らせる原因とはなり得ません.事実を隠し隔てることこそ,人々の意識を混濁させる原因です.
一人の人間として世界を見つめ,心のより所を作り上げていくプロセスの記述が,アルスノートです.つまり芸術とは,享受する(作品を鑑賞してその表現を受け止める)と共に,自らも表現に参加することで,自他共に よりどころを構築していくという,心の内の現象なのです.言うまでもなく,可能性とは,生きている限り,自らの未踏の地にあるのですが,その疎外を打ち破るべく,相互の造形表現をとおして,わずかながらも実りのある対話を生み出したいものです. 
 さて note とは,ここでは ars のプロセスを記録するものであり,言葉だけでなく音楽でいう楽譜のような表記や造形物のスケッチ,そして今ではパソコンによるプログラムやデータまでもが,その範疇に入ります.アルスノートとは,これらの記述の中であまり目立つことの無かった,どちらかというと秘密でもあった,造形のプロセスを中心とした簡潔な記述です.

 このプロセスという「もの」と「こと」との相乗的変容は,文字記号では書き留めにくい実動する現象です.20世紀後半より突如台頭したコンピュータ・システム.つまり言葉で動く機械とそれを動かすプログラム言語の商品化は,その実動する現象(プロセス)をみごとにに顕在化しました.フローチャート,アルゴリズム(計算手順),そして商品化までされたプログラムは,いつの間にか誰もが知る事物となったのです.この事実を元に,新しい表現法の習熟とその展開を人々の心のより所とするには,それらを社会的基盤として,誰もがパーソナルに利用できるチャンスと行動の場を築かなければならない困難がありました.しかし驚くべきことに近年の技術革新と投機マネーは,20世紀末の冨を求めるグローバリズムと相まって,わずか四半世紀でそれを成し遂げてしまったのです.これは,歴史に残る,“世界無血革命”と言って良いでしょう.もちろんその成果は,技術特有の善悪の入り乱れる現状ですが,一人の人間として現代の技術を学び,協働的にこれらのシステムを駆使することで,相互に心のよりどころを構築できることは,すでにWebの普及が示すところです.一人ひとりが表現し,具体的に構築し,相互に披瀝し,理解を深め,学び取ること,そしてグローバルな観点から,相互にローカリズムを再認識し,楽しく交流を深めたり,大いにその独創性を競いながら浪費無き経済の構築が可能となるでしょう.そして何よりも,物流を交えて心の交流を定着させるためのアイディアを提供できるという,この革命的現実こそが,アルスノート研究の大きな支えです.
 自然の造形に対する膨大な科学的分析とそのデータベース.それを抽象し統合する概念世界の発展と技術的展開.これらの人為による急激な環境変化に対し,一人の人間としてのこころのよりどころを見出し,支え合い,表現する喜びを共に分かち合うには,目先の利害にとらわれない芸術的協働のための新しいルールづくりと行動が必要なのです.

 人間の尊厳とは,どんな生活をしようとも,いつも夢を持ち,なにがしか創造的であることです.ときには伏,ときには背伸びし,見えない背後を振り返りながら,身の丈に相応しいよりどころを見出せれば幸いです.


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3.研究の目的

 

  1. 一人の人間として科学,技術,デザイン(計画),芸術を見渡す眼差しを取り戻す.
  2. 造形のプロセスを観察し,その記述法を探求し,自ら体験し,その記譜法を実証する.
  3. 音楽の楽典による楽譜のように,形典による形譜(造形譜:Formative Score)とモデュールテーブル(Module Table)などのコード表を使った表記法を確立する.

1.
  造形芸術とは,見せ物や資産でしょうか?それはメモリーのような物質的存在ですが,その本質的価値は,作品に向き合う人々のこころに生じるかけがえのない表象です.絵画は,現代の複製技術では及ばない複雑さがあるのは事実ですが,ブロンズの彫刻はすでに複製技術の賜物です.問題は,シグナル化された情報をいかに読み取り,個々のイメージでどのような解釈をするかです.
 人は誰もが表現の自由をもっています.音や光を操り自在な表現のできる技量をもつ人は希ですが,誰もが表現するごとに己のこころを再認識し,いくばくか改めていくことができるのです.日々の仕事は,過ちの許され難い行動の連続です.しかし,表現は行動とは異なります.どれほどひどい罵倒であれ,煽動であれ,その受け止め方によって傷ついたり励みになったりするものです.表現は,常に受け手の解釈によって想起されるイメージに過ぎず,その解釈は受け手のこころの問題なのです.物理的には,赤や青の信号に過ぎません.力をともなう行動や制止とは全く異なるわけです.したがって,己のイメージを再構成し,その確認のため表現を公開し他者の意見を求めることは自由なのです.それゆえに,子供やこころの状態の脆弱性に,周囲の配慮が求められるのです.
 表現の自由によって,さまざまな想定が披瀝され,人々のイメージが広がります.「宇宙の始まりから宇宙の終わりまで」を,論理的にに想定することで,一見,何の混乱もなく物理学が発展するようになりました.言い換えれば「この世の始めと終わり」のことですから,人々が冷静に受け止めているのは凄いことです.表現の自由は,常に更新をゆるし,新しい解釈も生まれます.表現はあくまでも仮想的概念の表象であり,その解釈であって,現実と混同することではありません.
 造形芸術は,仮想世界を日常的表現として受け入れるほど普及しています.一神教の聖者の像が崇高な解釈を競うがごとく,何処にでも見受けられるのはちょっと不思議ですね.物質でなく概念は民の心の中で一つであるということなのでしょうか?この仮想世界を否定するがごとく偶像崇拝を禁ずる宗教もあります.美しい文様と文字のパターン展開は,まるで人間の抽象力を讃えるモニュメントのようです.どうやら造形家は,時代のパトロンと共に表現によって人間の本質を探求し続けてきたようです.

2.
  表象とは,作家のイメージが記述(デッサン,デザイン,記譜)され,その解釈(パーフォーマンス,実制作,演奏)による表現が鑑賞者の内的なイメージを呼び起こし,再構成された現象です.
 画家の眼差しは,表現の中で視覚認識の在り方を熟慮し,繰りし更新される表現と解釈の関係を緻密に分析しながら長い試行錯誤を繰り返してきました.その創作性は,常に自然という圧倒的な創造力に対峙するオリジナリティーに向かって歩みを進めた苦難の歴史でもあります.
 「科学が芸術に与えた影響は多々あるが,芸術が科学に与えた影響はあまりない.」などと言われますが.芸術の中に,多大な科学的発見の経緯を認めるようになるのは,恐らく今世紀半ばのことでしょう.
 アルスノートとは,造形表現の一連のプロセスを客観的に見つめ,自由に解釈し合える中間的表現「造形譜」の位置付けと,形典による記譜法,その実制作を支える思考方法や対話方法の記述です.

3.
音楽の楽典による楽譜のように,形典による形譜(造形譜:Formative Score)とモデュールテーブル(Module Table)などのコード表を使った表記法を確立する.
これは,技術的にはすでに形成されているはずです.ただし,誰もが意識していないのは事実です.ですから「形典」も「形譜」も辞書にはまだ見かけません.面白いですね.最初ということに,世間は冷たいものなのです.その時間を,皆さんと共にもう少し楽しみたいですね. isi

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4.研究と背景  

(この項目はまだ書きかけです.)
 
背景:芸術・科学・技術など 研究状況と模索
   
1953年: J.ワトソン、F.クリックがロザリンド・フランクリンやモーリス・ウィルキンスの研究データの提供によって DNA の二重らせん構造を明らかにした。 1869: フリードリッヒ.ミーシャー(スイス)がDNAを発見し,1871年にヌクレインという名で発表したが、彼はその役割を細胞内におけるリンの貯蔵と考えていたそうだ。後にリヒャルト・アルトマン(ドイツ)によってヌクレインは核酸と改称され,1885年に A.コッセルがアデニン,1886年にグアニン、93年にチミンを発見(ウィキペディアより).しかし,義務教育の中で左記の2重螺旋構造を含め,それが知らしめられるのはずっと後のことだった..過去を振れば確信ほど疑わしいものはない.
1954 平山諦 「方陣の話」 中教出版  
1957 ジョン・バッカス
John Backus (IBM) FORTRAN (FORmula TRANslator)を公開
1960 ヨーロッパでALGOLを公開
   
1961 "L’Œil et l’esprit" 『眼と精神』 滝浦静雄・木田元共訳 みすず書房(1966) "La Structure du comportement" (1942) 『行動の構造』 滝浦静雄・木田元共訳 みすず書房(1964)とともに『眼と精神』に出会うのは,邦訳が出版された1966年のことだ.その衝撃は何にも増して大きく,バッハの無伴奏チェロ組曲と共に,学園紛争を越え,新たな探求の情熱に目覚めさせる,真底奥深い情報であった,いまだに貴重な精神のよりどころである.
1964 ジョン・ケミー John Kemeny トーマス・カルツ Thomas Kurtz BASICを開発  

1964 平塚市議事堂外壁全面のPCコンクリート彫刻 「静と動」小野襄 72m,100ton.

1964 東京オリンピックが開催されたのは,私のような団塊の世代が高校2年の頃だ.銀座の道路は板張りとなっていた.(笑)川面がアスファルトに変わり,道路の下に鉄路が流れる.「メビウスの地下鉄」というSFを新設の路線で遠回りしながら読んだ覚えがある.

1966 デザイニングプログラム「ONOJIN」が小野襄により確立され,雑誌「デザイン」美術出版 1967 に「ONO 陣」として連載される.  Arsnote (旧:造形ノート)の研究は, 1967年,雑誌「デザイン」美術出版 に連載された 小野 襄著「ONO陣」を起点とし,以来,音楽の楽譜のような,造形の蓋然的抽象表現となる造形譜の確立を目指し,探求と制作を続けていている.

 『眼と精神』に出会う.じつに素敵な人達が居るものだ.本屋に行けば,必ずみすず書房の書棚を見るようになった.装丁も文句なしだ.
1967 佐藤稲三郎「方陣の研究」 (株)メラ・プリント  この本の後書きは印象深い.幸か不幸か,生涯を費やしても解けない研究があることを知ったからだ.絶版となっていた 平山諦 「方陣の話」 中教出版 1954 を知り,版元へ行って複写させていただいた.以来,魔方陣の研究には距離を置いて見ることにした.
1969 Max Bense 「Einführung in die informationstheoretische Ästhetik. 左記の著作が初めて邦訳されるのは1997年となる.
 M.ベンゼ著,草深幸司訳 「情報美学入門」 勁草書房 1997
1970 ベル研究所 UNIXの基本ソフト完成
DECミニコンピュータ上で動作するUNIXの基本ソフト(operating system OS)がベル研究所で完成していた.知る由もない環境であった.
<return>

1972 インテル社Intel 最初の8ビット・マイクロプロセッサIntel8008を発表 (3500個のトランジスタを集積).

1973 ウンベルト・マトラーナ&フランシスコ・バレーラ共著 『知恵の樹』.

1974 ゼロックス(Xerox)社 イーサネットの公開実験に成功.パケットスイッチング方式による有線で計算機相互間を接続するLANの普及がはじまる.
1979 Note of Designing Code "帰還 " Pottery 第43回新制作展 東京都美術館
を発表.完全方陣の特性を崩さずに,フィボナッチ級数への変換を行った.この対称等差数列は,方陣を一定の自由度がある比例のモデュールへと変換できる.
  建築系のデザイナーは,モデュールは古典的伝統と考えている.だが他の作家は別だ.数字で造形ができると誤解されてしまう.イメージをモデュール化していると言っても理解してはもらえない.そもそも図面的思考に反感をもっているようだ.その点,音楽系の作家は,理解が速く,リズムの概念への疑問を指摘してくる.そうは言っても音楽のリズムの概念も実に複雑だから,簡単には解決できない.平均律から12音技法に至るまで,よくぞまあ発展が続いたものである.それは記譜法のもつ活力なのだろうか.それとも,天才故の力か….そう考えると「造形譜」を作ろうなどと言う気力は失せてしまう.電子音楽は,音楽の進化かなのかまだまだ疑わしい.
1975 Bill Gates とPaul G. Allen, BASICをPCで走らせることに成功
1976 TK-80(Training Kit μCOM80)を秋葉原で初めて見た.日本電気(NEC)の半導体事業部が1976年8月に販売した、マイクロコンピュータシステムのトレーニングキットだそうだ.

1978 Dennis RitchieとBrian Kernighan, C言語を公開
1978 インテル社Intel 16ビット・マイクロプロセッサ(CPU)Intel8086(80x86)を発表. トランジスタ数29、000個を集積、クロック速度は5MHz、8MHz, 10MHzがあった,以後, 日本電気のPC-9801などパーソナルコンピュータに広く採用されパソコンの普及が始まる.対応するオペレーティングシステムには、MS-DOS、PC-DOS、CP/M-86などがあった。

1979 FORTRANプログラム/SISCOM79を作成し,FACOM230と渡辺測機(グラフテック)のプロッターの連携によって,作成した拡大魔方陣の3D画像処理による検証をはじめる.どんなにスピーディーに図化しても,己の認識が深まらない限り,美には近づけない.やがてソロバンとカラス口やロットリングペンの時代が終わることを確信した.しかし,日本の造形デザイン系の教育改革の動きは遅々としている.実は,それはコンピュータとは無関係な問題なのだ.

  産業革命の副産物である公害問題に解決の糸口がやっと見え始めたとき,両刃の剣である技術革新は,爆発的な情報革命を突きつけた.肉体はともかく知的労働においては冷酷な新陳代謝を迫られた.

1980 アルビン・トフラー
          『The Third Wave』


1981ジャン・ボードリヤール 『シミュラークルとシミュレーション (Simulacres et simulation)』(邦訳 竹原あき子訳, 法政大学出版局, 1984年)

 このころApple II パーソナルコンピュータを秋葉原で見つける.5インチのFDドライブが35万円もしていた.
  情報革命が,日本幕末の黒船のように,グローバルに国家の津々浦々まで解放を促すこととなるなどとは思ってもみなかった.それは世界的な知の共有でもあり,世界的な知の収奪ともなる.破壊的手段とならないことを願うばかりだが,ロボット化された人間と同等のことができるようになることは必至だ.

  1980年代まで,私はベンゼの一連の著作に出会う機会が無かった. もし出会っていればその美的状態への科学的取り組みに励まされただろう.しかし,その射程の広さは,とても追随できるものではない.具体的にコンピュータを使った展開は,川野洋氏のユニークな提言
川野洋著「芸術情報の理論」 新曜社 1972
に学ぶところが多かった.

 人間のパターン認識力なくして,芸術の鑑賞も成立せず,コミュニケーションの客観的検証には,共通のパターン認識としての表記が不可欠となる.これが造形譜の確立につながっていくはずだ.
 視覚的観点から見れば,乱数はまさに乱れた数字群であり,その利用は,周期性を拒絶し,リズム的事態を複雑化する.恐らくすでに,<カオス,構造,ゲシュタルト秩序モデル>を内包する人間のイメージ力を探求するには,素直にそのイメージの抽象化,数学的モデル化を模索するべきだと私は考えていた.整然と並ぶ順序数も,憎たらしいほど変化とバランスのある方陣や方格も,様々な乱数や複雑な関数すらも,視覚は的確にパターン認識によりその差異を見抜く力があるのだ.従って,それら全てが造形空間の構成要因となり,個性ある美を形成しうると考える.コンピュータが無くとも,人間には天賦の才がある.造形デザインは,情報科学的に自然形態の把握プロセスを探ること(いわゆるデッサン)によって,人為による形態生成のプロセスを創生し,常にその実証的研究を行っていたわけだ.やがてコンピュータは,その活動を機械として外在化し,人間としての生を心身共に問いただすことになるのである.
<return>.

1983 "アルペイオスの流れ"  Cast epoxy resin   1983 第47回新制作展  東京都美術館

1984 坂村健 「TRON」の開発を始める.
 自然の形の物理的プロセスは具体的で実に多様である.芸術の形のプロセスは,表現手法(ルール)によって様々に抽象され,表徴化も成されいる.極めて客観的な関数による形も,それらの複合によって様相を変える.それを見抜く人間の視覚とパターン認識.リズムとしての移行的変位は,意識を越えた領域からの賜物としてあるとき,初めて芸術的価値を構築するようだ.「論理性からの解放」.あるいは「明快なる神秘」は,決して美を汚すとは思えないのである.科学を恐れず,その統合された矛盾の香りを楽しみたいものである.
1987 ウンベルト・マトラーナ&フランシスコ・バレーラ共著 菅啓次郎訳『知恵の樹』朝日出 版社

1987.この邦訳に出会って,確信への誘惑を捨てるどころか,ますます深めることとなった.(笑)<知覚・認識・行動>,この生物としての自立的オートポイエーシスこそ,情報というネグエントロピーを包含し,複雑性や秩序では推し量れぬ「美のリゾーム」を生み出すリゾーム(根茎)なのだ.(笑)

1993 形の文化誌[1] アジアの形を読む エッセイ「かたちと対応表現」 工作舎

 化石は情報の置換だ.物質は,変質し,入れ替わり,形の関係だけが残されている.現代が化石化するときは,やっかいである,その膨大な記憶状態は果たして残るであろうか?記憶とは物理的実在として存在を持続する.目を見張るメモリー技術の進化を目の当たりにしながら,如何なる芸術と言えども,その存続には物質の安定性が不可欠であることを再確認した.情報を物質化してきた人間の文化は素晴らしい継承性を保っている.もちろんそのROM化的技術は,変革の妨げでもある.RAMであるはずのHDがROMのごとく蓄積されてくる.脳内の状態を反映する妙にリアルな光景だ.古いHDを開くと脳内の記憶も蘇る.すると脳がHDの中を散策し始める.全ての結果が残されているのは余計なことでもある.(笑) 歴史,特に現代史への価値観は大きく変わるであろう.“今と同等な過去” を“ 今と同等な未来” を今として判別したいものだ.

1994 Antonio R. Damasio
『DESCARTES' ERROR』

『デカルトの誤り』
1995 J.ボードリヤール 『完全犯罪 (La Crime parfait)』(, 邦訳 塚原史訳, 紀伊國屋書店, 1998年)
1997 COMA DESIGN STUDIOのHPがYAHOOのカテゴリー検索で紹介される.もはや情報化社会の普及は止まらない.入学案内のHPがあっても,研究室のHPがない.実に情けない.教育者のリテラシー向上が望まれる.<return>
1999 形の文化誌[6] 花と華 論文 「造形ノート」  造形譜への私的アプローチ 1979-1998 までの作品を基に造形譜のもつ可能性を記した.汎用プログラムの普及とOSの複雑化がプログラミングへのアプローチを困難にしている.このままでは,アルゴリズミック・アートを,造形の基礎教育として導入することは困難だ.
  音楽のような普及を目指すには,まだまだ情報技術の発展が不足なのであろうか? 造形教育が,使用する道具で縦割りにされてしまうのは残念である.
2001デイヴィッド・J・チャーマーズ
情報の二相説(double-aspect theory of information)
?<知覚・認識・行動>の底流にデジタルな流れや判別が複層化しているであろうが,その上層には物質層も現象層が存在する.現代の通信網もそのような階層をともなっていくだろう.しかし,ビット先にありきとは言い難いのだ.

2004 「複合的対称性に関する 構成モデュールと配列表現」 形の科学会誌 第20巻 第3号 2005

 記数法を周期で捉えるのは楽しい.反応拡散のパターンとも近いが,対応変換によるその多様性は自由な解釈を生む.秩序とカオスと一口に言うが,美意識とはそう単純ではない.順序数と乱数の間には,関数や方陣のように複雑な対称性をもつ数字群がある.人間の眼差しはそれを次第に見分けるようになる.
2010 「複合的対称性に関する 構成モデュールと配列表現」 形の科学会誌 第25巻 第1号 2010  美術系の学生にも先生方にもアルゴリズム造形のプログラミングを期待するのは,もはや不可能となったようだ.表計算ソフトから3次元のArsnote Composerを稼働させるソフトをプロのプログラマーにご協力をいただき作成した.このツールで学際的理解が相互に深まることを期待したい.3Dのソフトウェアーはすでにオープンでフリーとなってきた.教育環境に不平等なコストの問題は消えつつある.かつてのデザイン用具や機器一式よりもコンピュータシステムの方が安価な場合もあり,消耗品費もランニングコストも電気代である.
2010 アントニオ・R・ダマシオ『デカルトの誤り』田中三彦訳 ちくま学芸文庫

2011.7 図書館にてちょっと閲覧 この手の研究を覗くとつい思い出す…「鶏が先か,卵が先か?えっ…Hが先でしょう?」 うーん,積ん読しかないかな….現代人はどう転んでも忙しいのだ.(言い過ぎです…)

2011 東日本大震災とFUKUSHIMA原発事故.世界経済の曲がり角.

自爆テロより怖い原発.マスコミ関係者の信頼失墜.
現場管理者は退避せず,悲惨な状況下での事故拡大防止中.感謝しよう!
科学者,技術者の倫理観が再び問われる.
今回の危機管理で行政は管理放棄同様.情報隠蔽でシビリアンコントロールを妨害.大量の被爆者を行政指導により発生させた.
現時点での日本の選挙制度では,原発の立法的シビリアンコントロールは不可能.
だが,世界不況が産業の構造改革に追い風となるかもしれない.
とはいえ,何処の国家も財政危機.
国家に頼れば増税が答え.
芸術・造形デザインは,更なる自立を!

   
   
     
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