アルスノート研究所 / 研究紹介 
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更新: 15/06/16 <10/02/15
■概要 1.前文. 2.研究の概要と理念.  3.研究の目的. ■ 4.研究内容.■ 5.研究背景

■ 概要
更新:08/09/30 >>09/12/18>> 15/06/16

研究のまえに

● 過去の作品紹介はこちらです.現在の形典の視点から解説とリンクを加え,更新していきます.
     更新情報は, Twitter でお知らせしています.

12/06/03 「形典」の項目 4.研究内容 の「形典/形典の基礎概念」を更新しました.
12/04/20 「形典」の項目を統合し, 4.研究内容 に「形典/形典へのアプローチ」を掲載しました.

11/09/17 前回ゲームのことを書きましが言葉足らずだったのでBLOGに載せました.
http://ishigaki-ken.blogspot.com/2011_09_01_archive.html

研究近況 に進行中の資料を掲載しました.討議などにご利用下さい.

<過去ログはこちら

■ 1.前文
 
見方が変われば,見え方が変わります.生き方を変えれば,世界も変わります.

「統合」とは,知識の寄せ集めでなく,様々に科学するこころの働きを自ら意識し,一人の心により合わせることです.

「造形ノート」展より

「さあ 行こう!」
と言って友は歩き始めた。
行動の前の「言葉」は
互いに他者であることの
確認でもあり、忘却でもある。

造形活動における「ノート」は
その確認と忘却にどう関わるであろうか?

「さあ 見てみませんか!」

1998/11/9 ~ 11/15  KEN ISHIGAKI

 

 21世紀,私たちはは膨大な文化遺産の只中で,新たな心のよりどころを探し続けています.生きる手段となった複製的生産が引き起こす物と情報の過剰な日々.どのようにすれば,無計画な浪費や争いによる破壊から,身の置き場を移すことができのるでしょうか?
 物理的モデルとして,しなやかな基礎をもつ永続的な建築構造の確保は必須ですが,そのほかに,地域的物流の代謝と循環によって,自発的活動を相互に支え合う地域経済の確立.地球に偏在する資源の争い無き活用と交易.そして,たとえ冷徹であれ,ともに,誕生と死を受け入れる文化的に完結する消費モデルも必要です.

 人間として生まれながらにもっている広い視野を失っては,先端的研究もその広がりを認識できず,他のジャンルとの横断的ひらめきも生まれません.エネルギー政策のつまずきが国土破壊の現実を露呈したいま,科学的理性をも失った原発エゴイズム報道による「安心・安全神話」は消え去りました.残念ながら今の日本の民主主義のレベルでは,原発のシビリアンコントロールは不可能です.行政による情報の開示と,自由な報道による分別ある国民の判断や世界と協調できる自発的な決断と行動が必要です.しかし,それでも超人的技術のリスクが消えるものではありません.あらゆる危機を想定した場合,原発を避ければ,人間が何年も国政の落ち度から自国に住めなくなるような馬鹿げた問題はないのです.
 無際限な人間の細分化を目指す使い捨ての教育.独占化により蔓延する怠慢な徴税.もはや,そこに若者がよりどころを求めるはずもありません.すでに,右肩上がりの神話的経済成長は限界です.世界的な生産力の向上にたいして,利益を上乗せされた消費価格が釣り合うはずもありません.国境を越えた企業の経済が行き詰まる中で,国境を越えられないメタボな国家経済が成りゆくはずもありません.
 そんな時代に芸術は,造形デザインは何処を目指すのでしょうか?今までと異なった価値観を提示することで,持続的なエネルギーの確保と自壊しない永続的な社会基盤の構築を目指すことができるはずです.無駄のない修復技術と意味のある更新こそが,エネルギーの浪費を避け,示威的でも投機的でもない,真っ直ぐに心に到達する芸術的な文化遺産を構築することができるのです.斬新な地域の営みと文化をもつことで,よりどころとなる堅固な地域の自治が生まれ,権力集中による国家に変わり,心の拠り所としてのグローカルな文化的経済エリアが,世界のあちこちで形成されてゆく時代なのかも知れません.堂々と生き様を披瀝できる文化の構築こそ,互いの旅の楽しみでもあるのです. 11/09/17  isi  <PageTop>

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■ 2.研究の概要と理念

 

形典・形譜(造形譜)の定立と探求

 造形プロセスの研究は,風にたなびく新緑の小枝のような緻密さと曖昧さ,秩序と乱れをしなやかに束ねた対象を観察するようなことです.根を支える立脚点として『形典』を定立させることは,造形構成の基盤と解釈を支えます.客観的視点は,情感や風土とは一見無関係ですから,無味乾燥と見られがちです.しかし,『形典』さえ整えば,しっかりとその枝葉の動きを支え,『造形譜』による表現のしなやかさをもって,自然な成り行きや意識的な創意工夫,感情の揺らぎや突然のひらめきをも包摂していけるのです.根もとから享受者と共に表象の花や実のなる枝先まで,その連なりを柔らかく位置付ける手立てとして,『形典と形譜』の定立と更なる探求を進めていきます.  PageTop

 
この Arsnote (アルスノート)という造語は,芸術と科学を巡る造形プロセス(造形過程)の簡潔な記述を意味しています.
   

ars とは,art の語源であるラテン語で,ギリシャ語の techné と同義と言われます.一般に技術,方法を意味し,純粋思弁的な知識や無意識の自然に対するものとして用いられ,自然と対立する人間の文化活動すべてをさしていたようです.*1  
*1:『哲学事典』 平凡社 1971
arsをさらにたどると arma になり,「つなぎ目,結合」といった盾や武器の語源に行き着きます *2 .“アー”という音は,いわゆるオーラの音で,朝に日が昇り,その光が大地に差し込むことを意味するそうです.
*2:大槻真一郎『語源辞典 ラテン語篇』 同学社 2006
ars は,まだ知識として科学と芸術,そして技術が心の中で分離しない頃の概念だとするなら,一人の人間として,全身全霊をもって,あらゆる対象を見ぬく直感力が運命を分けていた頃でしょう.哲学的言動や科学的論理に導かれていく以前の,不思議なほどに全人的で一体感のあるとらえ方だと考えると,その精神の高揚には喜々としたものがあったに違いありません.今で言えば,まだ科学的知見が一般化しない,香りや味わいのごとき認識の一体感が保てる言葉だったわけです.
もちろんarsとは,現代からみればかなり混沌とした曖昧な考えかもしれません.しかし,科学や芸術が求める窮極のよりどころは,いまでも「黎明」ではないかとも思うのです.Arsnoteは,そんなふうに一体化した思索の記述を,客観的視点と主観的志向を交えて探求していく記述を意味しているのです.

自他共に表現のプロセス(過程)を意識し,記録し,提示することは,存在・認識・行動のデザイン(計画),つまりは,自ら生きることへの心からの挑戦です.
このプロセスの把握こそ,「矛盾」という言葉が正しい意味を持つように,表象を俯瞰する記号的なチャートです.

科学の発展につれて,次第に芸術は科学と対局に位置することのように思われていきますが,当時のこのような自然と相対する人間活動の表現は,現代の冷めた目で見れば,存在・認識・行動の一体的な感覚による表象であり,極めて無垢な人間的理想像として,命のアウラに満たされていたとことと言えます.
近代において art は,自らの内面を意識し,その時代の先端の技術と価値観に対峙するべく,画家固有の技能によって視覚認識の脳内分析を試み,次々と新しい抽象絵画の様式を確立し,その享受へと振興のパトロンと共に人々を駆り立てました.そして昨今では,技術的で,きわどく分裂的な意識そのものも,芸術の領分とするほどの広がりをもつに至ったのです.

あえて言えば,自然現象のプロセスを記述しようと,感情を交えず,論理的に観察と探求を重ねてきているのが,自然科学というサイエンスノートです.科学は苦手だが芸術は得意だ…,などと自己を分断して考えることをせず,子供の視点,つまり全人的視点で対象を観察し,探求することが本来の眼差しであり,アルスノートの出発点なのです.

 一方,科学・技術的発展は,自然の普遍性を起点にして,自己意識の偏在を是とする傾向を強め,先鋭的探求のため,一人の人間としての生き方をも抑制し,グローバリズムと共に行動を加速されています. いまや物質と精神の溝は,生物科学,情報科学,脳科学,認知科学の登場で埋まりつつあるかに見え,普遍性を担保しない価値が,爆発的に複製されて,人心を惑わすようにもなりました.
 とはいえ,歴史的に累積性のある学問や技術とオギャーと生まれ出た無垢な心との乖離は,青春を曇らせる原因とはなり得ません.事実を隠し隔てることこそ,人々の意識を混濁させる原因です.
一人の人間として世界を見つめ,心のより所を作り上げていくプロセスの記述が,アルスノートです.つまり芸術とは,享受する(作品を鑑賞してその表現を受け止める)と共に,自らも表現に参加することで,自他共に よりどころを構築していくという,心の内の現象なのです.言うまでもなく,可能性とは,生きている限り,自らの未踏の地にあるのですが,その疎外を打ち破るべく,相互の造形表現をとおして,わずかながらも実りのある対話を生み出したいものです. 
 さて note とは,ここでは ars のプロセスを記録するものであり,言葉だけでなく音楽でいう楽譜のような表記や造形物のスケッチ,そして今ではパソコンによるプログラムやデータまでもが,その範疇に入ります.アルスノートとは,これらの記述の中であまり目立つことの無かった,どちらかというと秘密でもあった,造形のプロセスを中心とした簡潔な記述です.

 このプロセスという「もの」と「こと」との相乗的変容は,文字記号では書き留めにくい実動する現象です.20世紀後半より突如台頭したコンピュータ・システム.つまり言葉で動く機械とそれを動かすプログラム言語の商品化は,その実動する現象(プロセス)をみごとにに顕在化しました.フローチャート,アルゴリズム(計算手順),そして商品化までされたプログラムは,いつの間にか誰もが知る事物となったのです.この事実を元に,新しい表現法の習熟とその展開を人々の心のより所とするには,それらを社会的基盤として,誰もがパーソナルに利用できるチャンスと行動の場を築かなければならない困難がありました.しかし驚くべきことに近年の技術革新と投機マネーは,20世紀末の冨を求めるグローバリズムと相まって,わずか四半世紀でそれを成し遂げてしまったのです.これは,歴史に残る,“世界無血革命”と言って良いでしょう.もちろんその成果は,技術特有の善悪の入り乱れる現状ですが,一人の人間として現代の技術を学び,協働的にこれらのシステムを駆使することで,相互に心のよりどころを構築できることは,すでにWebの普及が示すところです.一人ひとりが表現し,具体的に構築し,相互に披瀝し,理解を深め,学び取ること,そしてグローバルな観点から,相互にローカリズムを再認識し,楽しく交流を深めたり,大いにその独創性を競いながら浪費無き経済の構築が可能となるでしょう.そして何よりも,物流を交えて心の交流を定着させるためのアイディアを提供できるという,この革命的現実こそが,アルスノート研究の大きな支えです.
 自然の造形に対する膨大な科学的分析とそのデータベース.それを抽象し統合する概念世界の発展と技術的展開.これらの人為による急激な環境変化に対し,一人の人間としてのこころのよりどころを見出し,支え合い,表現する喜びを共に分かち合うには,目先の利害にとらわれない芸術的協働のための新しいルールづくりと行動が必要なのです.

 人間の尊厳とは,どんな生活をしようとも,いつも夢を持ち,なにがしか創造的であることです.ときには伏,ときには背伸びし,見えない背後を振り返りながら,身の丈に相応しいよりどころを見出せれば幸いです.Page Top




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■ 3.研究の目的

 

  1. 一人の人間として科学,技術,デザイン(計画),芸術を見渡す眼差しを取り戻す.
  2. 造形のプロセスを観察し,その記述法を探求し,自らの体験をもってその記譜法を実証する.
  3. 音楽の楽典による楽譜のように,形典による形譜(造形譜:Formative Score)を定立し,モデュールテーブル(Module Table)などのコード表を使った表記法を探求する.

1.
  造形芸術とは,見せ物や資産でしょうか?それは古代より光を当てれば肉眼で読み取れるメモリーのような物質的存在ですが,その本質的価値は,作品に向き合う人々のこころに生じるかけがえのない表象です.絵画は,現代の複製技術では及ばない複雑さがあるのは事実ですが,ブロンズの彫刻はすでに複製技術の賜物です.問題は,五感からシグナル化された情報をいかに読み取り,個々のイメージでどのような解釈をするかです.
 人は誰もが表現の自由をもっています.音や光を操り自在な表現のできる技量をもつ人は希ですが,誰もが表現するごとに己のこころを再認識し,いくばくかでも更新いくことができるのです.日々の仕事は,過ちの許され難い行動の連続です.しかし,表現は行動とは異なります.どれほどひどい罵倒であれ,煽動であれ,その受け止め方によって傷ついたり励みになったりするのです.表現は,常に受け手の解釈によって想起されるイメージに過ぎず,その解釈は受け手のこころの問題です.物理的には,光や音の信号に過ぎません.力をともなう行動や制止とは異なるわけです.したがって,己のイメージを再構成し,その確認のため表現を公開し他者の意見を求めることは自由なのです.それゆえに,子供やこころの状態の脆弱性に対しては,周囲の心優しい配慮が求められるのは当然です.
 表現の自由によって,さまざまな想定が披瀝され,人々のイメージが広がります.「宇宙の始まりから宇宙の終わりまで」を,論理的にに想定することで,一見,何の混乱もなく物理学が発展するようになりました.言い換えれば「この世の始めと終わり」のことですから,人々が冷静に受け止めているのは凄いことです.表現の自由は,常に更新をゆるし,新しい解釈も生まれます.表現はあくまでも仮想的概念の表象であり,その想定や解釈であって,現実と混同することではありません.
 造形芸術は,仮想世界を日常的表現として受け入れるほど普及しています.一神教の聖者の像が崇高な解釈を競うがごとく,何処にでも見受けられるのはちょっと不思議ですね.物質でなく概念は民の心の中では一つであるということなのでしょうか?偶像崇拝を禁ずる宗教もあります.美しい文様と文字のパターン展開は,まるで自然の抽象力を讃えるモニュメントのようです.どうやら造形家は,時代のパトロンと共に表現によって人間の本質を探求し続けてきたようです.

2.
  表象とは,作家のイメージが記述(デッサン,デザイン,記譜)され,その解釈(パーフォーマンス,実制作,演奏)による表現が鑑賞者の内的なイメージを呼び起こし,再構成された現象です.
 画家の眼差しは,表現の中で視覚認識の在り方を熟慮し,繰りし更新される表現と解釈の関係を緻密に分析しながら長い試行錯誤を繰り返してきました.その創作性は,常に自然という圧倒的な創造力に対峙するオリジナリティーに向かって歩みを進めた苦難の歴史でもあります.
 「科学が芸術に与えた影響は多々あるが,芸術が科学に与えた影響はあまりない.」などと言われますが.だれもが芸術の中に多大な科学的発見の経緯を認めるようになるのは,恐らく今世紀後半のことでしょう.
 アルスノートは,造形表現の一連のプロセスを客観的に見つめ,自由に解釈し合える中間的表現「造形譜」の位置付けと,形典による記譜法,その実制作を支える思考方法や対話方法の記述となっていくでしょう.

3.
音楽の楽典による楽譜のように,形典による形譜(造形譜:Formative Score)を定立し,モデュールテーブル(Module Table)などのコード表を使った表記法を探求する.
これは,技術的にはすでに形成されているはずです.ただし,誰もが意識していないのは事実です.ですから「形典」も「形譜」も辞書にはまだ見かけません.面白いですね.最初ということに,世間は冷たいものなのです.その時間を,皆さんと共にもう少し楽しみたいですね. isi Page Top

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